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世尊寺五重塔

世尊寺五重塔
世尊寺五重塔
津久見市大字下青江1198番地 世尊寺管理
世尊寺境内に立つこの五重塔は、以前は別の所(井無田の常寒にとも,塔の平にあったともいわれている。)に立っていたのを現在地に移したものである。世尊寺の塔は,市内唯一の五重塔で、高さ3.2m,基壇の上に,基礎と丸石,塔身となる部分には六角の仏龕(ぶつがん)が置かれ,五重の屋根と相輪とからなっている..造塔年代等については不明だが,室町時代の作と推定されている。
平成3年3月31日津久見市有形文化財に指定

村上神社宝篋印塔(ホウキョウイントウ)

村上神社宝篋印塔(ホウキョウイントウ)
村上神社宝篋印塔(ホウキョウイントウ)
津久見市大字上青江643番地 畑管理
村上神社の本殿に向かって右手に宝篋印塔と呼ばれる石塔が立っている。この塔は姫嶽合戦(1435)の時に戦死した伊予の河野通久の供養塔といわれていて、銘は文安6年(1449)とあり、現在のところ、在銘の例としては市内で最も古いものです。高さ1.7m、どっしりとした感じの塔で、四角の台石の上に、基礎、笠、相輪がのっている.全体に比し、笠の部分が大きく、特に隅飾突起の部分に年代の古さを感じさせます。
平成3年3月31日津久見市有形文化財に指定

大友宗麟公墓

大友宗麟公墓
大友宗麟公墓
津久見市大字津久見4190番地 教育委員会管理
中田引地に宗麟公墓地の案内表識があります。大友宗麟公{1530ー1587)終焉の地です。戦国時代、九州に一大勢力を築きあげ、その名を馳せたキリシタン大名、大友宗麟の墓地がこの津久見市にあります。大友宗麟公といえば、広く世界に眼を向け、すすんで西洋の文化を取り入れた先駆者として高く評価されています。宗麟は島津軍との戦いに疲れ、当時流行していた熱病に冒され、天正15年(1587)5月23日に津久見を永眠の地として没したといわれています。
平成5年1月11日津久見市の史跡として指定

ジョウヤラ踊り

ジョウヤラ踊り
ジョウヤラ踊り
深良津ジョウヤラ踊り保存会 
四浦深良津に伝わるジョウヤラ踊りは、佐伯藩初代毛利伊勢守高政公が参勤交代で帰られるのを祝って、歓迎の踊りを披露したのが始まりといわれています。その名前は「漁あれ、漁あれ」という囃言葉に由来するといわれており、佐伯藩領内の浦々で行われていました。衣装は郷土芸能振興の意味もあり、着物、帯び、袴、鉢巻まで揃いの色彩で端を長く垂らし飾り立てています。
平成3年3月31日市の無形民族文化財に指定

津久見扇子踊り

津久見扇子踊り
津久見扇子踊り
津久見扇子踊り保存会 
今から450年の昔、津久見は大友氏の支配下にあり、当時警護の武士が駐屯し、隣国に対する警戒にあたりその任務も重大であり、日夜の精励もさることながら、つれづれの余り、戦没勇土農民の供養の願いにもと部落とはかり、ここに京舞の扇子踊りを創設したと云う。今は毎年8月の最後の土曜日に「市民扇子踊り大会」が行われ、約千人を超える人々が扇子を手に舞い踊ります。
平成3年3月31日市無形民族文化財に指定

堅浦霜月祭りの芸能

堅浦霜月祭りの芸能
堅浦霜月祭りの芸能
津久見市大字堅浦 堅浦古典芸能保存会 
この芸能は、堅浦の羽迫神社に伝わる祭礼行事の総称で、神楽、獅子舞い、長刀、棒術などが行われます。特に棒術は、元禄年間(1691-1703)に海岸寺の三代目住職寂光院秀海が、護身術として揚心流の棒術・長刀術を取得したといいます。その頃堅浦では悪疫と不作が続き、疫病平癒祈願のため隼鷹神社に奉納したのがその始まりと伝えられています。
平成10年3月20日大分県無形民族文化財に指定

臼杵藩領津久見絵図

臼杵藩領津久見絵図
臼杵藩領津久見絵図
津久見市セメント町
徳川幕府は国防上から日本沿岸測量の必要にせまられて、天文学者伊能忠敬に命じました。この一行が臼杵領に来た時に、藩で適任者を選び、この仕事に立ち合わせました。それから30年後の弘化4年(1847}臼杵藩では、この原図を基にして多少描き加え、佐志生・大泊・松崎各浦の拡大絵図を作り、その写しを関係庄屋に渡したのが、この絵図です。寸法は、縦2.5m、横5.1m楠屋岬から警固屋までの海岸線を主に、余白部分には、原野、山林、家屋、寺院、道路、田畑、島まで描き入れている。
平成5年1月11日津久見市有形文化財として指定

軸丸文書

軸丸文書
軸丸文書
津久見市中央町
軸丸家に伝わる古文書24通は、「大友義統跡目安堵状」(年未詳)を除いては、すべて江戸時代初期のもで、藩政史料の乏しい当市にとって貴重なものである。佐伯藩初代藩主毛利伊勢守高政から彦野内村庄屋善内に宛てた掟書や触書さらに家老連署による触書〈他の地域へ宛てたものも含む)などがそれを証明している。高政は、佐伯入部直後から領内の各地に盛んにこうした書状を発したといわれています。
平成5年1月11日津久見市有形文化財として指定

長頸壷

長頸壷
長頸壷
津久見市大字網代504番地
平岩遺跡で出土〈道路工事中)したこの長頸頸壷は、今から二千年くらい前の弥生時代後期のものと考えられます。この土器は、器高29.8cm、胴部最大径17.2cmでほぼ完形。頸部はまっすぐ伸び、口緑部は外反し、底の部分はやや上げ底になっています。また外面を見ると胴部と頸部の境目に刷毛目痕をさらに胴の上部から頸部にかけて篦により研磨されていて、このような長頸壷は数例しか発見されていない。

彦ノ内谷川天満社タブノキ

彦ノ内谷川天満社タブノキ
彦ノ内谷川天満社タブノキ
津久見市大字津久見1036番地
クスノキ科の常緑大高木でイヌグス(犬樟)ともいう。葉は長楕円形、果実は球形で径約1cmで、果柄は赤色をおびて、主に家具、建築材料として用いる。幹のまわりは約6mで、樹齢はおよそ六百年ぐらいと考えられる。津久見市の樹木の中で一番大きいと思われる。

田尾拝高天満社タブノキ

田尾拝高天満社タブノキ
田尾拝高天満社タブノキ
津久見市大字津久見5642番地
クスノキ科の常緑大高木でイヌグス(犬樟)ともいう。葉は長楕円形、果実は球形で径約1cmで、果柄は赤色をおびて、主に家具、建築材料として用いる。幹のまわりは約4.5mで、樹齢はおよそ五百年ぐらいと考えられる。津久見市の樹木の中では大きいほうである。